[ 2015 口頭発表 要旨 ]

惠谷 浩子 EDANI, Hiroko 

奈良文化財研究所 研究員 

四万十川流域や宇治の文化的景観の調査研究に没頭中。専門は造園学、文化的景観。大学では国立公園の調査をしていたはずが、山に登るのが徐々にしんどくなり、気付けば里の調査を手掛けることに。人と自然がつくり出した土地独特の風土(美味しい食べ物含む)をこよなく愛する。

[発表要旨]

四万十川流域における沈下橋の意味ー変化の連鎖

 四万十川流域の沈下橋は、清流・四万十川を象徴する存在として誰もが知る存在となっている。増水しやすい四万十川の特性と人との共生のシンボルとして認識されているが、沈下橋の意味はそれだけではない。
 水運が活発に行われていた時代、四万十川は現代でいう高速道路のような存在で、筏や川舟による流域の林産物の輸送路としての機能が最優先された。そのため、常設の構造物を河川内に建設することはできず、仮設の橋や舟によって川を渡っていた。しかし、戦後、トラック輸送による木材搬出の時代へと変化していく。筏が接触する恐れも帆掛け舟の就航もなくなった四万十川では陸運のためのコンクリート製の橋が求められた。ただし、四万十川の中でも特に沈下橋の建設が進んだ中流は、四万十帯の地形的特徴から集落が点在する場所で、ひとつの橋にかけられる経費は必然的に低くなる。そうした中で選択されたのが、水没する時だけは通行をあきらめても、建設費を低く抑えて架けられる沈下橋だったのである。 
 つまり、沈下橋は、四万十川流域における水運から陸運の時代への変化を象徴する存在であり、戦後の輸送手段の変化に対応しながらも地域で生き続けることを選んだ結果といえるだろう。